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リハビリマインド_垣田清人院長 (2/3) 「リハビリは脳を介して取り組むべきだ」

垣田清人医師(京都大原記念病院 院長)に脳神経外科医からリハビリ医療に転身して13年間、見てきたこと、培ったリハビリマインドをテーマに話を伺いました。全3回に分けてご紹介します。 第2回は「リハビリテーション医療についての考え方」がテーマです。2007年4月に院長に着任してから現在までの経験を踏まえて、考えを述べています。 着任当時に感じた医師としての違和感。医師が積極関与する仕組み作りに着手 児玉理事長からの招きで、2007年4月院長に就任しました。「リハビリテーション医ってなんだろう?」と思いながら仕事を始めたことを覚えています。と言うのも、医師によっては治療手技を持つ人もわずかにいましたが、他方セラピスト達の報告を受けて訓練内容を指示するだけの医師もおり、治療手段を持たない医師として違和感があったのです。実際現場に入ってからは、医師がしっかりと関与するような体制が必要と考え、装具検討会設置の他、普段からなるべく訓練室に患者様の様子を見に行く意識付けにも取り組みました。 カンファレンスについては、私が就任する以前から三橋尚志先生を中心に医師の参加が徹底されていました。医師にも、自分の専門領域の報告をするだけでなく、患者様のその後の生活全体を捉え描くための医療外の知識と、それに対応する意識を持つ必要があると思っています。   脳を介したリハビリ、スタッフの成長とともに新たな療法を取り入れる リハビリ医療の世界に入って13年目、基本的なこととして「単に動かす(動かしてもらう)だけではいけない」と考えています。患者様が、脳を介することを意識して取り組まないと意味がないのです。極端な話、例えば患者様が寝ている状態で、スタッフが一生懸命やって関節の可動域を拡げることができても、それはニューロリハビリテーション(脳科学を応用したリハビリテーション)ではないということです。 促通反復療法(通称:川平法)の他、かつてはミラー療法などで器具を作って配ったこともありました。いずれも、脳(への刺激)を介しているので有効と考えてのものでした。「リハビリは脳を介して取り組むべきだ」というのが、私の基本的な考えです。 就任以降、一人一人がしっかりと力を伸ばしてくれて、磁気刺激治療や促通反復療法、LSVT LOUD&BIGなどの新たな療法を取り入れることもできました。最近では、昨年(2018年)京都近衛リハビリテーション病院(以下、近衛)を開設し、体制が一気に拡大しました。スタッフが若返り、院内の状況も変わって来ています。   新しい取り組みは、セラピストのキャリアアップにもつながると思っています。技術を身に付け、次々とスキルアップすることで、やりがいにもなります。得たものは、患者様へのサービス向上だけでなく、経営面でもプラスに働いています。 各スタッフの研究活動や学会発表は、まだまだ増やさないといけません。発表だけでなく、ペーパー(論文等)にまとめて発信することも大切で、院内の総合リハビリテーションセンター前での掲示はその一環です。スタッフにそのような意識で取り組んでもらえるよう、体制をさらに強化していきたいと考えています。   一見弱みの立地も、環境を活かし「大原だからできること」へ 赴任した時から、「この場所で、どこまで頑張れるかな」という不安が、なかったと言えばうそになります。この10年で、京都では回復期リハビリテーション病棟のベッド数が約4倍に増えました。グループとしては、2013年6月の御所南リハビリテーションクリニック(以下、御所南)開設に続き、2018年4月に京都近衛リハビリテーション病院を開設。町中に窓口が増えたことは間違いなくプラスです。人の流れという点でも勉強になっています。とは言え、本院である京都大原記念病院が、大原でしっかりとやっていくことには変わりありません。 幸いにも近年では、「大原だからできること」として「グリーン・ファーム・リハビリテーション®」が徐々に活発になってきています。何度かメディア取材を受け、最近は依頼を受けて学会誌へも寄稿しました。 この取り組みは、患者様が能動的に活動することに意義があります。机上で三角コーンを繰り返し動かす訓練を例に挙げると、基礎練習としての意味はもちろんありますが、「おもしろくないから」と能動的に取り組めない患者様もいます。しかし、退院後の実生活では全て自らの意思で動作をスタートさせなければなりません。能動的な活動を促すために、うまく用いていきたいと考えています。また、併設の老健や特養の日中活動に組み入れるなど、あらゆる形で発展する可能性を感じています。中心的存在である木村彩香医師(指導医)と作業療法士などを起点に、より一層高めてほしいと思います。私としても、この取り組みはきちんと育てて行きたいと考えています。 以前、デイルームでご飯を炊いているというリハビリ病院の話を聞いたことがあります。例えばそのような機会を作り、状態によっては患者様自身に配膳などの役割を持って参加していただくことも、病棟でのリハビリの一環として良いですし、患者様の気分も良くなるだろうと思います。 リハビリ訓練に取り組む時間は、多いとは言え1日3時間です。それ以外の時間を看護師や介護スタッフが工夫してはいるものの、まだまだ寝たりテレビを見たりして過ごす方も多くいます。社会復帰を目指すうえで、実生活に参加を促す機会も大切です。当院の農業(グリーン・ファーム・リハビリテーション®)もリハビリ訓練時間での活用がメインですが、それ以外の活用も広めていけたらと思っています。   【Profile】 垣田清人(かきたきよひと) 京都府立医科大学を卒業後、2年間東京の大学病院で研修した後に帰京。医局へ入らず、京都第一赤十字病院(以下、第一日赤)に直接入職。京都大原記念病院 院長に就任するまでの約30年間在籍。本人曰く「私は外様なんです(笑)」。 |資格| 京都大原記念病院 院長 日本脳神経外科学会専門医 日本脳卒中学会認定脳卒中専門医   【連載第1回はこちら】 変化に富み、忙しくも充実した急性期時代 【連載第3回はこちら】 人生の充実感を探す支援を目指す

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リハビリマインド_垣田清人院長 (1/3) 「変化に富み、忙しくも充実した急性期時代」

垣田清人医師(京都大原記念病院 院長)に脳神経外科医からリハビリ医療に転身して13年間、見てきたこと、培ったリハビリマインドをテーマに話を伺いました。全3回に分けてご紹介します。 第1回のテーマは「脳神経外科医として過ごしてきた急性期病院在籍時代」の話です。 変化に富み、忙しくも充実した急性期時代 研修後に入職した当時の京都第一赤十字病院は、実は今ほど救急を受け入れている病院ではありませんでしたが、時代とともに病院の役割として救急医療が求められるようになっていきました。私は脳神経外科医として一層活気がほしいという想いを持っていましたので、当時の院長の理解も得て救命救急センター開設の口火を切りました。救急室が本格稼働すると、救急搬送の受け入れ件数は年間500件程度から年間数千件までに増加し、私自身も忙しい毎日を過ごすことになりました。実績が認められ、当時市内の第二日赤、医療センターに続く3番目の救命救急センターとして認可を受けました。余談ですが、認可を受けるには救命認定医の資格保有者2名以上が必要でしたが、その時点では先輩1名しかいませんでした。言いだした手前、私自身も取得することになり、それはそれで大変だったのも良い思い出です。 私の専門は、脳卒中です。第一日赤では「急性期脳卒中センター開設(2001年)」にも携わりました。開設の目的に、脳神経外科と脳神経内科が共同で診療にあたる体制をつくることを掲げていました。当時は、脳梗塞(脳の血管がつまる)は脳神経内科、脳出血(脳のなかで出血する)は脳神経外科が診るという傾向がありましたが、現在は脳神経内科と脳神経外科の診療の境界はほぼなく、共同で総合的にアプローチしています。これを考えると、早い段階で取り組めたことは良かったと考えています。名称の「急性期」は、役割を明確にする意味合いであえて表示しました。 脳卒中治療には、診療科の連携だけでなく多職種がチームで診療していくことが必要と考え、早くから「チーム医療」という言葉も掲げていました。センター開設に伴い、医師が指示するだけでなく、看護師やセラピスト等と定期的に情報共有しながら、チームでアプローチする体制も設けました。目に見える形を作れたことは、意味があったと考えています。またこの頃には、クリニカルパス(診療標準化のために、入院中のスケジュールを表のようにまとめた計画書)も設けて、より円滑にチーム医療に臨める体制を整備しました。「チーム医療」や「クリニカルパス」は現在では当たり前のことですが、それが言われ始めたこの時期を振り返ると、変化に富んでいて忙しくも充実していたなと思いますね。   次世代の成長とともに脳神経外科からリハビリへの転身を検討 京都大原記念病院は、私の第一日赤勤務時代から既に回復期リハビリテーション病棟を標榜(2000年から)していましたが、当時は「老人病院」という認識しかなかったのが正直なところです。患者様を紹介することもありましたが、リハビリ目的というより比較的重症な患者様を療養目的でお願いしていました。2006年に講演する機会があって足を運んだ時に、初めて「リハビリ病院」という認識を持ちました。今思えば、リハビリ自体があまり認知されていなかった時代であり(自分も含め)急性期の医師は「治療を終えたら、その後の指示を出しておしまい」という風潮だったように思います。 そんな私が脳神経外科医からの転身を考え出したのは、50代半ばに入ってからです。この頃は、口(指示やアドバイス)で手術をしていましたね(笑)。手術は丸一日近くかかることもあり、また緊急対応も必要で体力を要します。自身の体力面の変化等も考えれば、次世代の育成は必須でした。外科医が、いつまでも「俺が一番」ではいけないと思います。幸いその頃には若い医師が力をつけていましたので、夜間の呼び出し対応はしていたものの、手術執刀は彼らが中心となって担ってくれるようになりました。その頃、児玉博行理事長からの声かけもあり、転身を具体的に考えるようになりました。   【Profile】 垣田清人(かきたきよひと) 京都府立医科大学を卒業後、2年間東京の大学病院で研修した後に帰京。医局へ入らず、京都第一赤十字病院(以下、第一日赤)に直接入職。京都大原記念病院 院長に就任するまでの約30年間在籍。本人曰く「私は外様なんです(笑)」。 |資格| 京都大原記念病院 院長 日本脳神経外科学会専門医 日本脳卒中学会認定脳卒中専門医   【連載第2回はこちら】 リハビリは脳を介して取り組むべきだ 【連載第3回はこちら】 人生の充実感を探す支援を目指す

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【外部発表のご紹介】ボツリヌス療法での長期的なフォローを行い、片ロフストランド杖歩行自立に至った症例

よりよいリハビリテーションの提供を目指し、日々の現場だけでなく研究活動や、学会発表などに取り組んでいます。今回は8月に参加した「第1回日本スティミュレーションセラピー研究会」で発表した演題についてご紹介します。(抄録は記事最下部よりご覧いただけます)   ボツリヌス療法での長期的なフォローを行い、 片ロフストランド杖歩行自立に至った症例   花岡涼平(京都大原記念病院 理学療法士) 第1回日本スティミュレーションセラピー学会 2019年8月     脳出血発症後、早期に左上肢、両下肢にボツリヌス療法を実施し、継続したリハビリフォローに取り組んだ結果、片ロフストランド杖で自立歩行できる状態へ至った症例を経験しました。ボツリヌス療法は疾患別リハビリ期限を超過した患者など、発症から相当に時間が経過し痙縮や拘縮が見られる症例に実施することが多く、またその報告の多くは歩行器を使った歩行自立までです。 今回の症例は、発症後早期に取り組み、歩行器自立後も長期的な症状が改善し、左ロフストランド杖歩行自立まで改善が見られました。このことから他症例に対する治療手段の1つになりうる可能性を感じ、各リハビリテーション記録、家族指導記録、生活歴を振り返ることで分析し、まとめました。(以下、一覧を表で示した後、個別のご説明となります) ※表はクリックすると大きく表示されます。 今回の症例はX年12月に右視床に出血(脳室穿破)を発症。翌X+1年1月 左前頭葉の出血(左前頭葉出血)、放線冠周囲に脳梗塞を発症されました。その結果、左半身の上肢・下肢が動かせず(左上下肢麻痺)、右側の下肢も感覚が鈍く動かしづらい(右下肢肢不全麻痺)状態となっていました。 この方は、発症されたX+1年3月に京都大原記念病院へ転院されました。その際には、立った姿勢を保持するのに全面的な介助が必要な状態でした。翌X+1年4月、7月の計2回ボツリヌス療法を実施して訓練された結果、平行棒の中を介助されながらも歩行されるようになりました。その後、他医療機関を経て施設に入所されます。 入所先から、X+3年4月当グループの御所南リハビリテーションクリニックで外来リハビリ開始すると、歩行器を用い介助を受ければ歩行できるようになりました。X+3年12月には歩行器を使えば自立して歩行できる状態となったことから自宅へ退所されました。 以降、X+4年1月以降、ボツリヌス療法を計5回、月1回外来でリハビリ訓練を継続された結果、X+4年12月には左ロフストランド杖を用いれば自分で歩行できる状態になりました。   本症例は発症(X年12月)から約4ヶ月(X年4月)の早期段階からボツリヌス療法とリハビリ訓練を実施した結果、歩行器自立した後にも機能障害の改善が見られ左ロフストランド杖歩行自立に至りました。個別症例により効果等は検証する必要があるが本結果を踏まえ他症例に対する治療手段の1つとなりえるものと捉え、今後も各方面から検証して行ければと考えています。   抄録はこちら  

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直接知る「退院後」の生活。ご厚意をきっかけに若手セラピストが多くを学ばせていただきました。

あるきっかけでご縁のできたAさん。ご主人が突然の病気をきっかけに車いすでの生活を余儀なくされましたが(※1)、様々に工夫されながら日々を過ごされました。当院が回復期リハビリテーションを担う医療機関であることを知ってくださったことをきっかけに「もし私たちの経験が、患者さんの支援に役立つならぜひ一度うちを見に来てほしい。お話しましょう。」と申し出てくださり、若手セラピストが研鑽の機会として訪問させていただきました。 突然の病、受け入れるまでの葛藤 主人は急に発生した身体の痛みに身動きが取れなくなり、救急搬送されました。幸い命は助かり自宅に退院できましたが、下半身に麻痺が残り、車いす生活を余儀なくされました。それまで当たり前にできたことができなくなる喪失感から「なぜ、こんなことになったのか?」という思いがふつふつと湧いたのでしょう、落ち込んだ姿がありました。 搬送されて治療を受けている時も、きっと説明していただいたのだと思います。けれど、本人も私(妻)も、落ち着いて理解できる心の余裕はありませんでした。現実を受け入れ前を向くには、「なぜ?」を一つ一つ紐解いていくほかない。そう考えて、「納得できるようにもう一度先生の話を聞きたいと要望を伝えてみよう」と話しました。私が看護師として勤務していた病院でしたが、主治医にも協力していただいて一つ一つ疑問を解消していきました。   本人が主役になれる環境を目指す 退院後自宅での生活を考えると、現実的な問題もありますから、いろんな福祉サービスなどの利用も必要になります。病院の担当者も「身体障害者手帳」の説明をしてくださいましたし、私も必要だと思って聞きました。しかし、本人は手帳を受け取ることに「葛藤」があったようです。 手帳を受け取ることは、つまり障害を認めることになります。夫の感情の変遷を目の当たりにして、身に起こった突然の病や障害を理解して心から受け入れるのは、本当に難しいことなんだと感じさせられました。 発症前は、特にバリアフリー化されていないマンションに2人で住んでいました。身の回りのことを自分でできる環境を整えようとしたのですが、住んでいた部屋の改修は困難でした。そんな時に、親族が住む近隣の地域で「コーポラティブ(購入予定者の要望を聞きながら間取りを決める)マンション」の情報を得て、すぐに引っ越しを決意しました。車いすの状態でも身の回りのことが自分でできる「本人が主役になれる」環境を目指そう、と設計士さんにも話を聞いてもらってできたのが今の家です。 ■段差なく出入りできる玄関やベランダ ■コンセントを座面の高さにたくさん配置して、床には電気コードを這わせない ■便座を高めに設置したトイレ ■夫婦のプライベートを保ちながら、何かあればすぐに動ける間取り ■方向転換をしなくても、部屋中を移動できる導線設計 ■自動で閉まる玄関ドア(一定時間が経つと自動で閉まる) それまでと生活の基盤も変わり、不自由が全くなかったわけではありません。でも、朝の身支度こそ手伝いが必要でしたが、夫婦それぞれのペースで生活できました。本人が一人でお風呂に入ったり、洗濯などの家事もしていました。   定年まで勤め上げる 前に進むためには、「意欲」や「目標」が必要だと思います。そういう理由で、何とか仕事にも復帰してほしいと思っていました。「意欲」や「目標」は、ただ周りから与えられたり押し付けたりするのではなく、自ら持つことが大切だと思ったからです。 もともと夫は事務系の仕事、私は看護師として働き、生活費と学費を役割分担していました。当時、家族は夫婦2人と20代の娘2人でしたので、学費が必要でした。「学費はあなたの担当だから、頼むよ!笑」と発破をかけているうちに、「自分には役割がある」という気持ちになったのか、また前を向いて歩きだしたように思います。「社会の中で役割を持つこと」が、大切だと感じた瞬間です。 仕事については、環境こそ工夫は必要でしたが、それ以外の仕事の理解やパソコン操作等は問題ありませんでした。職場にも無理を言いましたが、理解して環境を整えてくださいました。おかげで無事に復職を果たし、大雪等の影響で動けなかった時を除いては休むこともなく、最終的には約8年超、定年退職するまで勤め上げることができました。定年後は、もともと好きだった物理学の勉強など、自分のやりたいことや趣味に時間を割いていました。私は定年前で仕事もありましたが、好きにやってもらおうと見守りました。高い買い物をしている時は、少しヒヤヒヤもしましたが(笑)   やれることはすべてやった そうして生活していた2013年の、ある夏の日のことでした。私が出かけていた時に、自宅で急に体調が悪くなりました。帰宅して異変に気付き、確認したところ体の片側に麻痺が現れたので、慌てて救急車を呼び搬送されました。脳出血との診断の説明を受けた時は、既に気管挿管されている状態でした。「状態は重く、何が起こってもおかしくない。人工呼吸器をつけたとしても持って2週間だが、装着しますか?」そう説明を受け、早急に方針を決める必要に迫られました。 独立して遠方に住む娘2人に連絡をしました。既に深夜で、電車もありません。緊急事態を受けて、「こんな気持ちでは落ち着いて運転できない」と。人工呼吸器を付けて、娘たちを待つことにしました。おかげで、家族4人揃って最期のひと時を過ごすことができました。夫は、意識を戻すことなく亡くなりました。ちょうど2週間を過ぎた朝のことでした。今年で6回忌を迎えたところです。 不意に始まったこの家での生活ですが、夫は自分なりに生活することができていたように思います。私も夫の世話にかかるばかりではなく、仕事も趣味もありましたので、協力しながらそれぞれの時間を過ごしました。おかげで、お互いに煮詰まってしまうこともありませんでした。今振り返っても「やれることは全てやった」と、気持ちはすっきりとしています。 今、振り返って思うこと 私は看護師という「医療者」の立場から、病院でいろんな患者さんと出会ってきました。病院で向き合う期間は長いように思いますが、家族として向き合うと「人生」の中のごく一部分にすぎないことを痛感しました。けれど、その限られた時間での関わりが、その後の生活に影響することは間違いない、と今でも思います。 私自身も、周囲の協力を得て、定年退職まで勤め上げることができました。現在は、京都シニア大学の授業や同好会、それ以外の趣味などで毎日充実しています。一人暮らしではありますが、友人らとの会話も楽しみに、いつまでも自分らしく元気に過ごして行きたいなと思っています。 ※1:Aさんのご主人は京都大原記念病院をはじめとしたグループ関連施設の患者様、利用者様ではありません。ご縁をきっかけにご厚意で学びの機会を提供くださったことに感謝申し上げます。   京都大原記念病院が掲げるリハビリテーションの目的 京都大原記念病院では、リハビリテーションは「機能障害」を治すことを第一の目的とするものではなく、生活機能の向上をはかり、生活を支える行いであるべきと考えています。できる限り元の生活に近づける努力をリハビリテーションとし、その第一歩として「(患者様の)自立支援」「(ご家族の)介護負担の軽減」「(患者様・ご家族の)安心の提供」をリハビリテーションの目的と定めて日々取り組んでいます。症状や、生活の考え方は千差万別ですが、この目的を日々実現するうえで退院後のお話を直接うかがう機会は、訪問した若手のセラピストにとって非常に学びの多い機会となりました。感謝の想いも込めて、Aさんのお話をご紹介しました。

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一つ一つには意味がある!グリーン・ファーム・リハビリテーション®!

過ごしやすかった9月下旬のある日。 京都大原記念病院の農園で16名の患者様がセラピストらとグリーン・ファーム・リハビリテーション®に取り組まれました。 この日の活動は「苗植え(定植)「種まき(播種)」。 リハビリテーションとしての農業活動は「種をまく」「苗を植える」など行動の目的が分かりやすいこともあってか、患者様は一様に能動的に取り組まれる姿が印象的です。 ただ、楽しいだけでなくできるだけ幅広い方に参加いただけるような工夫や、一つ一つの動作には目的を持って取り組んでいただきます。 ■ 指先を使った細かな動作をこなす ■ 不整地でのバランスを保ち歩行する ■ 説明を受けた内容を理解して実行する ■ 作業の段取りをうまく組み立てる ■ わからないことがある時に質問する …etc こうした目線は指導医を中心に多職種でこうした目線を共有しています。   この日撒いた種は10日後には芽を出し始めました。 そんな様子も時折参加された患者様も農園まで足を運んでご覧になるなど楽しみの要素にもなっています。   大原だからできること。これからの季節が楽しみです!   [caption id="attachment_853" align="alignnone" width="400"] ご状態にあわせて作業環境は工夫(パイプを使って種まき)[/caption] [caption id="attachment_855" align="alignnone" width="400"] 作業を進めるためには不整地での移動が必要(バランス)[/caption] [caption id="attachment_859" align="alignnone" width="400"] 仕上げに整える(指先の運動・巧緻性)[/caption] [caption id="attachment_863" align="alignnone" width="400"] 小さな種をつまむ(巧緻性)タネを●●個入れてください(指示の理解)[/caption] [caption id="attachment_856" align="alignnone" width="400"] ご状態にあわせて作業環境は工夫(車いすの方も参加))[/caption] [caption id="attachment_854" align="alignnone" width="400"] 訓練として実施する目的、作業時の観察のポイントなどは木村彩香(写真左)を中心に多職種で認識を合わせていく[/caption] [caption id="attachment_861" align="alignnone" width="400"] ご状態にあわせて作業環境は工夫(写真右:小さな椅子を使用)[/caption] [caption id="attachment_857" align="alignnone" width="400"] ポットから苗を出して、所定の場所に植える(作業の段取り力)[/caption] [caption id="attachment_858" align="alignnone" width="400"] 仕上げに整える(指先の運動・巧緻性)[/caption] [caption id="attachment_860" align="alignnone" width="400"] この日は、少し暑かったものの爽やかに過ごしやすい一日。活動には16名が参加されました。[/caption] [caption id="attachment_862" align="alignnone" width="400"] 種まきして、10日後の様子。無事に芽が出てきました(水菜 品名:紅法師)[/caption]  

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大分リハビリテーション専門学校 作業療法士科の皆さんが施設見学にご来院

大分リハビリテーション専門学校 作業療法士科から、首藤小春先生と24名の生徒さんが施設見学にご来院されました。 同校で、毎年2年生を対象に将来の働く姿をより具体的に掴むための機会として実施される研修旅行プログラムの一環で来院されました。 当日は京都大原記念病院をはじめ、各関連施設も見学されました。先輩作業療法士の活躍を目の当たりにした今回の見学が、可能性ある若い皆さんの将来を考える機会となっていれば心から嬉しく思います。 [caption id="attachment_843" align="alignnone" width="400"] 引率の首藤先生と、同校卒業生で当日の案内役を務めた江川大地作業療法士(京都大原記念病院)[/caption]   [caption id="attachment_844" align="alignnone" width="400"] 講義やグループワークでも様々なテーマで学ぶ[/caption]   [caption id="attachment_845" align="alignnone" width="400"] 作業療法士も多く活躍。グリーン・ファーム・リハビリテーション®の農園を視察[/caption]   [caption id="attachment_847" align="alignnone" width="400"] 京都近衛リハビリテーション病院も見学。写真はADL訓練ゾーンの一角[/caption]

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【掲載されました】 医療従事者向けサイト 「m3.com」に掲載されました!

【2019年9月17日9:00更新】   医療従事者情報サイト「m3.com」で京都大原記念病院の取り組みをご紹介いただきました。計2回連載で「 グリーン・ファーム・リハビリテーション® 」「当院のリハビリテーション提供体制」などについて、同院の垣田清人院長、三橋尚志副院長、木村彩香医師がお話させていただいております。   【第一回】 【京都】患者さんの興味から始まった自家菜園‐京都大原記念病院「農業とリハビリテーションの融合」とは◆Vol.1   【第二回】 【京都】京都府下最大、288人のスタッフによる高密度リハビリ‐京都大原記念病院「農業とリハビリテーションの融合」とは◆Vol.2

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急性期病棟におけるリハビリテーション関連専門職研修会に参加しました!(大原)

8月10、11日に急性期病棟におけるリハビリテーション関連専門職研修会に参加しました。 当日は急性期リハビリテーション(以下、急性期リハ)をテーマに、総論から疾患別の話題まで多岐にわたる講義内容でした。 急性期リハでは、長く安静にしすぎることによる二次的合併症(廃用症候群など)の予防を目的として、積極的に立つ、あるいは歩行訓練がなされているとのことでした。積極的にこれら運動療法を行うことで急性期病棟の在院日数短縮や、早期自宅退院に繋げていくことが同病棟として重要との話でした。 また社会全体の少子高齢化に伴い、リハビリ医療には健康寿命の延伸にどう貢献するか?が求められており、それは急性期だけではなく、回復期、生活期、それぞれの立場で共通の課題であることを認識しました。実態として、急性期病棟ではリハビリテーション科医が少なく、立位訓練や歩行訓練に多くの時間・人員配置ができないことなど、すぐには解決できない課題もあります。急性期後の回復期を担う当院としては、こうした実情を理解したうえで、患者様一人ひとりに合わせて多様なリハビリ医療を展開できるよう取り組んで行きたいと考えました。 (理学療法士K) ■日本リハビリテーション医学教育推進機構ウェブサイト(こちら)

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【外部発表のご紹介】複数回の経頭蓋的磁気刺激治療において段階的に失語症状が改善した1例

よりよいリハビリテーションの提供を目指し、日々の現場だけでなく研究活動や、学会発表などに取り組んでいます。今回は8月に参加した「第1回日本スティミュレーションセラピー研究会」で発表した演題についてご紹介します。(抄録は記事最下部よりご覧いただけます)   複数回の経頭蓋的磁気刺激治療において段階的に失語症状が改善した1例 ―発話困難な状態から短文レベルでの発話獲得まで   伊藤実希(京都大原記念病院 理学療法士) 第1回日本スティミュレーションセラピー学会 2019年8月   経頭蓋的磁気刺激治療(以下、磁気刺激)と集中的言語聴覚療法を併用し、計4回の短期入院を経て発症から5年を経過しても、発話能力(言葉を音声として発すること)が段階的に改善を振り返り、効果と、他の要因について同治療前後の言語聴覚機能評価の結果、リハビリテーション記録や生活状況などについての情報を振り返りました。 対象患者はA氏(70代・男性)。A氏が最初に同治療を受けたのは、発症から2年経した時期。そこから発症5年目にかけて合計4回治療を受けています。内容推測困難な状態から2文節文レベルまで見られるようになりました。経過は以下の通りです。   ■発症2年後(磁気刺激1回目) 自ら話をしようとする姿が見られますが、聴き取りは困難なレベルでした。 ↓ ■発症3年後(磁気刺激2回目) 聴き取りが難しいことが多かったものの、時折単語レベルの発話がみられました。 ↓ ■発症4年後(磁気刺激3回目) 単語レベルが主でしたが、2 文節レベルで話をする姿が見られ始めました。 ↓ ■発症5年後(磁気刺激4回目) 2 ~ 3 文節レベルで話をする姿が見られ始めました。   【参考】文節と単語? ■私は/学生/です。→ 3文節 ■私/は/学生/です。→ 4単語   先行研究では、「長期間にわたり言語機能に回復を示す可能性は高いが、広範囲に病巣が広がる例では、40歳以上の高年齢発症になると、発症から2~3年程度の期間で、機能回復に制限が現れる可能性がある」(中川良尚・小嶋知幸(2012)『慢性期の失語症訓練』、高次脳機能研究32 巻2 号p. 257-268)と述べられています。今回の症例で改善が見られたのは、1回目の磁気刺激を発症から3年以内に実施できたことが、1つの要因になったと考えます。しかし、発症から4年以上経過しても段階的な向上が見られており、年齢も70歳代であるため、この改善は、磁気刺激の効果ではないかと考えます。 他の要因では、「日本語話者の慢性期失語症患者において短期集中的言語訓練の有効性」(草野みゆき・春原則子・渡辺基・百崎良・安保雅博『慢性期失語症患者に対する短期集中的リハビリテーションの効果』、高次脳機能研究32 巻4 号,p. 601-608)を述べています。磁気刺激を受ける前の言語訓練の少なさに伴う廃用により、言語機能が低下していた状態からの集中的言語療法を実施したことによる効果も大きい可能性があると考えました。 また、ご本人の意欲が高く、ご家族が協力的であり、毎日自主訓練を継続されました。このことが磁気刺激を受ける各回の間に大きな機能低下をさせることなく複数回治療の効果を促進したのではないかと考えました。 抄録はこちら

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ある日のデイルーム。訓練の合間を主体的に過ごす時間に。

ある日の病棟デイルーム。中心で棒体操を実演、指導されるのは伊藤高之さん(52)。交通事故による外傷性くも膜下出血により急性期病院での治療を経て、当院に入院。リハビリに励まれています。営業職への復職に向けた練習も兼ねて、主治医や担当理学療法士らのアドバイスを受けてまとめた資料を片手に、この日は座ったままできる体操や、棒体操などの要領を説明しながら実施してくださいました。 回復期リハビリテーション病棟で過ごす時間は、1日最大3時間の訓練だけでなく、それ以外の21時間も全てがリハビリテーションと捉えています。合間の時間でこのように意欲的に取り組まれるお姿にスタッフも勇気づけられました! ※記事内容は2019年8月21日時点のものです。

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