お知らせ

直接知る「退院後」の生活。ご厚意をきっかけに若手セラピストが多くを学ばせていただきました。

あるきっかけでご縁のできたAさん。ご主人が突然の病気をきっかけに車いすでの生活を余儀なくされましたが(※1)、様々に工夫されながら日々を過ごされました。当院が回復期リハビリテーションを担う医療機関であることを知ってくださったことをきっかけに「もし私たちの経験が、患者さんの支援に役立つならぜひ一度うちを見に来てほしい。お話しましょう。」と申し出てくださり、若手セラピストが研鑽の機会として訪問させていただきました。

突然の病、受け入れるまでの葛藤

主人は急に発生した身体の痛みに身動きが取れなくなり、救急搬送されました。幸い命は助かり自宅に退院できましたが、下半身に麻痺が残り、車いす生活を余儀なくされました。それまで当たり前にできたことができなくなる喪失感から「なぜ、こんなことになったのか?」という思いがふつふつと湧いたのでしょう、落ち込んだ姿がありました。

搬送されて治療を受けている時も、きっと説明していただいたのだと思います。けれど、本人も私(妻)も、落ち着いて理解できる心の余裕はありませんでした。現実を受け入れ前を向くには、「なぜ?」を一つ一つ紐解いていくほかない。そう考えて、「納得できるようにもう一度先生の話を聞きたいと要望を伝えてみよう」と話しました。私が看護師として勤務していた病院でしたが、主治医にも協力していただいて一つ一つ疑問を解消していきました。

 

本人が主役になれる環境を目指す

退院後自宅での生活を考えると、現実的な問題もありますから、いろんな福祉サービスなどの利用も必要になります。病院の担当者も「身体障害者手帳」の説明をしてくださいましたし、私も必要だと思って聞きました。しかし、本人は手帳を受け取ることに「葛藤」があったようです。

手帳を受け取ることは、つまり障害を認めることになります。夫の感情の変遷を目の当たりにして、身に起こった突然の病や障害を理解して心から受け入れるのは、本当に難しいことなんだと感じさせられました。

発症前は、特にバリアフリー化されていないマンションに2人で住んでいました。身の回りのことを自分でできる環境を整えようとしたのですが、住んでいた部屋の改修は困難でした。そんな時に、親族が住む近隣の地域で「コーポラティブ(購入予定者の要望を聞きながら間取りを決める)マンション」の情報を得て、すぐに引っ越しを決意しました。車いすの状態でも身の回りのことが自分でできる「本人が主役になれる」環境を目指そう、と設計士さんにも話を聞いてもらってできたのが今の家です。

    • ■段差なく出入りできる玄関やベランダ
    • ■コンセントを座面の高さにたくさん配置して、床には電気コードを這わせない
    • ■便座を高めに設置したトイレ
    • ■夫婦のプライベートを保ちながら、何かあればすぐに動ける間取り
    • ■方向転換をしなくても、部屋中を移動できる導線設計
    • ■自動で閉まる玄関ドア(一定時間が経つと自動で閉まる)

それまでと生活の基盤も変わり、不自由が全くなかったわけではありません。でも、朝の身支度こそ手伝いが必要でしたが、夫婦それぞれのペースで生活できました。本人が一人でお風呂に入ったり、洗濯などの家事もしていました。

 

定年まで勤め上げる

前に進むためには、「意欲」や「目標」が必要だと思います。そういう理由で、何とか仕事にも復帰してほしいと思っていました。「意欲」や「目標」は、ただ周りから与えられたり押し付けたりするのではなく、自ら持つことが大切だと思ったからです。

もともと夫は事務系の仕事、私は看護師として働き、生活費と学費を役割分担していました。当時、家族は夫婦2人と20代の娘2人でしたので、学費が必要でした。「学費はあなたの担当だから、頼むよ!笑」と発破をかけているうちに、「自分には役割がある」という気持ちになったのか、また前を向いて歩きだしたように思います。「社会の中で役割を持つこと」が、大切だと感じた瞬間です。

仕事については、環境こそ工夫は必要でしたが、それ以外の仕事の理解やパソコン操作等は問題ありませんでした。職場にも無理を言いましたが、理解して環境を整えてくださいました。おかげで無事に復職を果たし、大雪等の影響で動けなかった時を除いては休むこともなく、最終的には約8年超、定年退職するまで勤め上げることができました。定年後は、もともと好きだった物理学の勉強など、自分のやりたいことや趣味に時間を割いていました。私は定年前で仕事もありましたが、好きにやってもらおうと見守りました。高い買い物をしている時は、少しヒヤヒヤもしましたが(笑)

 

やれることはすべてやった

そうして生活していた2013年の、ある夏の日のことでした。私が出かけていた時に、自宅で急に体調が悪くなりました。帰宅して異変に気付き、確認したところ体の片側に麻痺が現れたので、慌てて救急車を呼び搬送されました。脳出血との診断の説明を受けた時は、既に気管挿管されている状態でした。「状態は重く、何が起こってもおかしくない。人工呼吸器をつけたとしても持って2週間だが、装着しますか?」そう説明を受け、早急に方針を決める必要に迫られました。

独立して遠方に住む娘2人に連絡をしました。既に深夜で、電車もありません。緊急事態を受けて、「こんな気持ちでは落ち着いて運転できない」と。人工呼吸器を付けて、娘たちを待つことにしました。おかげで、家族4人揃って最期のひと時を過ごすことができました。夫は、意識を戻すことなく亡くなりました。ちょうど2週間を過ぎた朝のことでした。今年で6回忌を迎えたところです。

不意に始まったこの家での生活ですが、夫は自分なりに生活することができていたように思います。私も夫の世話にかかるばかりではなく、仕事も趣味もありましたので、協力しながらそれぞれの時間を過ごしました。おかげで、お互いに煮詰まってしまうこともありませんでした。今振り返っても「やれることは全てやった」と、気持ちはすっきりとしています。

今、振り返って思うこと

私は看護師という「医療者」の立場から、病院でいろんな患者さんと出会ってきました。病院で向き合う期間は長いように思いますが、家族として向き合うと「人生」の中のごく一部分にすぎないことを痛感しました。けれど、その限られた時間での関わりが、その後の生活に影響することは間違いない、と今でも思います。

私自身も、周囲の協力を得て、定年退職まで勤め上げることができました。現在は、京都シニア大学の授業や同好会、それ以外の趣味などで毎日充実しています。一人暮らしではありますが、友人らとの会話も楽しみに、いつまでも自分らしく元気に過ごして行きたいなと思っています。

※1:Aさんのご主人は京都大原記念病院をはじめとしたグループ関連施設の患者様、利用者様ではありません。ご縁をきっかけにご厚意で学びの機会を提供くださったことに感謝申し上げます。

 


京都大原記念病院が掲げるリハビリテーションの目的

京都大原記念病院では、リハビリテーションは「機能障害」を治すことを第一の目的とするものではなく、生活機能の向上をはかり、生活を支える行いであるべきと考えています。できる限り元の生活に近づける努力をリハビリテーションとし、その第一歩として「(患者様の)自立支援」「(ご家族の)介護負担の軽減」「(患者様・ご家族の)安心の提供」をリハビリテーションの目的と定めて日々取り組んでいます。症状や、生活の考え方は千差万別ですが、この目的を日々実現するうえで退院後のお話を直接うかがう機会は、訪問した若手のセラピストにとって非常に学びの多い機会となりました。感謝の想いも込めて、Aさんのお話をご紹介しました。

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