お知らせ

背筋をのばしてしっかり歩いて健康に!

2019年11月16日(火)、第30回日本老年医学会近畿地方会 市民公開講座が「地域で支える健康長寿」をテーマに開催され、京都大原記念病院 院長 垣田清人医師が「リハビリテーションで築く明るい長寿社会」と題して講演しました。健康長寿の秘訣は「背筋を伸ばしてしっかり歩くこと」とメッセージを送りました。講演の要旨をご紹介します。   いつまでも健康でいるために予防が大切 健康長寿とは、健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間を意味します。日本で右肩上がりに伸び続ける平均寿命と、健康寿命の差は男性で平均して8.84年、女性で12.35年(厚生労働省_第11回健康日本21(第二次)推進専門委員会資料(2018年))存在し、この間は言い換えると不健康寿命とも言えます。 京都に目を向けると、男性は約10年、女性は約14年となっています。平均寿命は男女ともに全国でも高い順位に位置(男性:3位/女性9位)しているものの、健康寿命でみると中盤以下(男性:28位/女性:44位)というのが実情です。(平成30年版高齢者白書)残念ながら、長生きだけど不健康と言えます。 65歳以上の方が要介護になる主な要因は、脳卒中、認知症が上位を占めます。さらに要介護5になった原因の疾患に絞るとこの2つの疾患で半数以上を占めるようになります。いつまでも健康でいるためには予防が大切です。   生活習慣の改善と適切な運動を 2019年5月世界保健機関(WHO)が認知症ガイドラインを発行し、予防指針のポイントを示しました。そこでは「運動」「禁煙」「高血圧の治療」「糖尿病の治療」が強く推奨されました。サプリメントや脳トレなどは推奨項目としては挙げらなかったことを考えると、悪いものではないもののそれだけで予防できる方法ではないということであると思います。生活習慣の改善はもとより、適切な運動が大切であり、これらは脳卒中予防や認知症予防だけでなく生活習慣病の予防と広く捉えることができると思います。   運動はしすぎると良くない 脳卒中は大きく出血(血管が破れる)によるものと、詰まる(梗塞)によるものがあります。それぞれに運動と発症リスクの関係は少しずつ違います。運動と脳卒中発症のリスクを長年追跡調査(コホート研究)されました。 その結果では、脳卒中全体を捉えると普通ペースで約1時間半歩行する程度の負荷量で、3割程度 脳卒中発症のリスクが下がるとされ、運動を継続(負荷量が増す)してもリスク水準はあまりあがることはありません。 しかし細分して出血性に焦点を絞ると、最初は全体と同じく発症のリスクはさがるものの、過度に負荷がかかるとかえって何もしないよりリスクが高まることが分かっています。例えばジョギングなどの激しい運動を1時間以上継続した時の発症リスクは、何もしない時よりも高くなります。こうした背景を考えると、適度なジョギングはもちろん良いのですが「しっかり歩くこと」が一番良い方法だろうと私は考えています。   姿勢よく歩きましょう ただし姿勢よく歩くことが大切です。高齢者の歩き方にはいくらか傾向があります。「縦揺れ小さい」「横揺れ大きい」「歩幅が小さい」(図)心当りはあるでしょうか。こうした傾向は意識すればある程度は改善できます。 健康のために歩くという意味では「肩の力を抜く」「背筋を伸ばす」「あごは軽く引く」「軽くひざを伸ばす」「いつもより少し広めの歩幅で、かかとから落とす」「(後ろの足は)親指の付け根で押し出す」これらを意識して歩いてみてください。そうすれば、正しい重心移動(図)で歩くことができるようになるはずです。時には両手を大きく振り、また杖を使ったり、もしくはノルディックウォークのように手も使いながら歩行されることもいいと思います。大切なのは姿勢よく、しっかりと歩くことです。 私たちは2020年3月に新たな取り組みの開始に向けて準備を進めています。「大原健幸の郷」として、高齢者の方がいつまでも元気で生活できる共生社会をつくることを目指して京都府などと一緒に取り組む予定です。ここでも大原の環境でのウォーキングなどにも取り組んでいただく予定です。   背筋をのばしてしっかり歩きましょう 近年、新体力テストの結果などから高齢者の体力が若返っていると言われています。2015年6月に開催された日本老年学会学術集会で開催されたシンポジウムで「最新の科学データでは、高齢者の身体機能や知的能力は年々若返る傾向にあり、現在の高齢者は10~20年前に比べて5~10歳は若返っていると想定される。個人差はあるものの、高齢者には十分、社会活動を営む能力がある人もおり、このような人々が就労やボランティア活動など社会参加できる社会を創ることが、今後の超高齢社会を活力あるものにするために大切である。」という声明も出されました。 「若い者に負担をかけたくない」という思いは共通してお持ちかと思います。自分の健康と自分の健康と体力を維持していくことが大切であり、そのためには歩くことが一番大切であると私は思います。私たち京都大原記念病院はリハビリテーションを専門として、病気で倒れたあと、また元気になれるように、患者様が自分のことを自分でできるようサポートすることが中心です。ただこれからは元気なうちから健康を維持していく、例えばロコモを予防するような働き掛けも大切と考えています。健康維持していくためには、皆さんにも自分の意識、自分で動くことが必要です。背筋をのばしてしっかり歩きましょう。   【演者】 垣田清人 京都大原記念病院 院長 日本脳神経外科学会専門医 日本脳卒中学会認定脳卒中専門医  

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リハの目標と成果報告_京都第二赤十字病院で症例報告会

京都大原記念病院グループと京都第二赤十字病院(第二日赤)との症例報告会が10月23日、上京区の第二日赤で開かれ、患者2症例について理解を深めた。 会は、発症後の急性期の治療に当たる第二日赤と、その後のリハビリを担う同グループ(京都大原記念病院、京都近衛リハビリテーション病院、御所南リハビリテーションクリニック)が、共通して診た患者の回復の度合いについて理解を深める狙いで年1回開いている。永金義成・第二日赤脳神経内科部長が司会を務めた。 一例目は「高次脳機能障害の患者にとって自立した生活とは?~バリント症候群に対するアプローチ」と題して御所南の森右京・言語聴覚士が発表した。患者は70代男性で視野障害、左右失認、失算があった。 リハビリでは、文章を読む時に目線の散らばりを抑えるため、長方形の穴をあけた紙片を読みたい部分に当てて読む工夫をした。また食事動作では日常生活でも箸を使うようにした。バスでの外出訓練では、横断歩道が認識できなくて落ち込む場面もあったが、6カ月後の退院時には体の偏りもなくなり、動作は自立レベルまで回復できた。 二例目は「重度高次脳機能障害が改善し自宅復帰を果たした一例~退院したら家のことをしたい」を題し近衛の山根大和・理学療法士が発表。家のことをすべて一人で行ってきた70代女性がくも膜下出血に罹患し、せん妄、ひざ関節痛を抱えながらリハビリに励んだ日々を報告した。 患者は当初は物を壊すなど暴力的な面もあったが3カ月目あたりから驚くほど改善。4カ月目以降は主婦業のための調理訓練や身支度、時間管理を促した。退院時には基本動作は自立し、メモを活用しながら一日の予定を管理できるようになったという。

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リハビリマインド_垣田清人院長 (3/3) 「人生の充実感を探す支援を目指す」

垣田清人医師(京都大原記念病院 院長)に脳神経外科医からリハビリ医療に転身して13年間、見てきたこと、培ったリハビリマインドをテーマに話を伺いました。全3回に分けてご紹介します。 第3回は「リハビリの現場で思う医師の役割やマインド」がテーマです。現在、そして未来を見据えて考えを述べています。 医師は各専門職の知識を引き上げまとめる「チームリーダー」 チームで患者様と向き合う 私はこれまでの約40年間、急性期、そして回復期で多くの患者様と出会ってきましたが、「医師としてこうあらねば」という思いはあまりありませんでした。医師だから、患者だからではなく、一人の人間同士として自然体で接する。そのなかで、私の持てる知識で応えて行ければと日々対応しています。 大切なのは、チーム医療です。院内での医師の役割は、各専門職の知識を上手に引き上げてまとめる「チームリーダー」と捉えています。周りからは「医師が一番上」と階層的に見られることがありますが、そうではないと思っています。重要なのは、お互いの持てるものを出し合って、一人の患者様に向き合うことです。私は、声かけをするなどして、ムードを作れるよう意識しています。 人生の充実感を探す支援を目指す 急性期在籍時は、当然、第一に救命であり、それがモチベーションになっていました。今は、当時知らなかった、急性期を脱した後の患者様の様子を、時間をかけて診ることができています。自分の人生で、専門である「脳卒中」の最初から最後までを診ることができている、という点で充実感を得ています。 自宅への退院が叶わなかった患者様を見るとつらさはありますが、無事に自宅へ退院し(元通りとは行かないまでも)生活を取り戻したとか、次のステップを見出すことができたという患者様を見ると嬉しく思います。 そのためには、どこかのタイミングで患者様自身にも気持ちを切り替えていただいて、今の状況で一番良い人生の歩み方を一緒に考えていきたいと思っています。実際うまく切り替えられずに、自宅に帰っても思うような生活にならない方、外に出られなくなる方がいます。御所南で外来診察していても、障害を引きずり、単にリハビリを続けているだけになってしまう方も見受けられます。 私は、安易に「頑張れば良くなる!」という言い方はしません。「障害を克服する」という言葉を、「障害が治る」と理解する方もいるからです。しかし、現代の医学では完全に元に戻ることは難しい、というのが実情です。だからこそ、障害を受け入れつつ「その人にとって一番の歩み方」を見つけて人生の充実感を味わっていただけるように、私たちも最大限の努力と支援をします。 障害者スポーツを見るとき、選手たちも(その経緯にもよるでしょうが)おそらく当初はなかなか障害を受け入れることができなかっただろうと想像します。それでも選手の皆さんがいつもとても良い顔をされているのは、その状態での自分の生き方を見つけられたからだろうと理解しています。患者様にも、そんな顔で生活してほしいというのが私の願いです。スポーツにはそれなりの能力が必要ですが、先ほど話題に挙げた農業(グリーン・ファーム・リハビリテーション®)には参加してみてほしいです。自分の生き方を見つめ直し、自分のできる中から楽しみを見つけてほしいし、そうアドバイスしていくことが一番良いかと思っています。 医療者である前に一人の人間として大切にしたいマインド 京都大原記念病院の回復期リハビリテーション病棟にご入院されている患者様の90%以上は、グループ外の医療機関等からご紹介いただいています。これは、日々連携する医療機関等との信頼関係があってのものです。リハビリの成果はもちろん、これまでに重症な患者様も受け入れてきたという実績も、選んでくださる理由にあると考えています。またグループとして、老健や特養など様々なステージを展開していることも要因の一つでしょう。 京都大原記念病院に来て最初に驚いたのは、どの職員も「こんにちは」と挨拶をしてくれたことでした。これは私だけでなく、退院時に実施しているアンケートや来客からもお聞かせいただく感想です。私たちは、医療人である前に一人の人間です。マインドとして根付くこうした文化を、これからも大切にしていきます。   時代の変化をとらえ、リハビリ専門病院として歩み続ける 今後ますます時代は変わって行きますが、少なくとも今頑張っていることは、京都で一番だと自負しています。それは、これまで積み上げてきた結果が示しています。これからも、リハビリ病院として信頼を重ねていきます。また、強みとも弱みともとれる立地も、環境を最大限に活かし「大原だからできること」を大切に取り組んでいきます。 ハード面の老朽化も課題ですが、患者様向けのスペースはもちろん、働くスタッフの環境改善にも取り組んで行きます。気持ちよく働ける環境があってこそ、患者様に対して良い仕事ができると思うからです。 ご紹介いただく医療機関の皆様には、患者様の「その後の人生」を考える一つのプロセスと捉えて送り出してくだされば幸いです。患者様の人生を作り上げる「仕上げの場」として、目的を持って任せていただけるようチーム一丸となって全力で向き合います。   【Profile】 垣田清人(かきたきよひと) 京都府立医科大学を卒業後、2年間東京の大学病院で研修した後に帰京。医局へ入らず、京都第一赤十字病院(以下、第一日赤)に直接入職。京都大原記念病院 院長に就任するまでの約30年間在籍。本人曰く「私は外様なんです(笑)」。 |資格| 京都大原記念病院 院長 日本脳神経外科学会専門医 日本脳卒中学会認定脳卒中専門医   【連載第1回はこちら】 変化に富み、忙しくも充実した急性期時代 【連載第2回はこちら】 リハビリは脳を介して取り組むべきだ

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リハビリマインド_垣田清人院長 (2/3) 「リハビリは脳を介して取り組むべきだ」

垣田清人医師(京都大原記念病院 院長)に脳神経外科医からリハビリ医療に転身して13年間、見てきたこと、培ったリハビリマインドをテーマに話を伺いました。全3回に分けてご紹介します。 第2回は「リハビリテーション医療についての考え方」がテーマです。2007年4月に院長に着任してから現在までの経験を踏まえて、考えを述べています。 着任当時に感じた医師としての違和感。医師が積極関与する仕組み作りに着手 児玉理事長からの招きで、2007年4月院長に就任しました。「リハビリテーション医ってなんだろう?」と思いながら仕事を始めたことを覚えています。と言うのも、医師によっては治療手技を持つ人もわずかにいましたが、他方セラピスト達の報告を受けて訓練内容を指示するだけの医師もおり、治療手段を持たない医師として違和感があったのです。実際現場に入ってからは、医師がしっかりと関与するような体制が必要と考え、装具検討会設置の他、普段からなるべく訓練室に患者様の様子を見に行く意識付けにも取り組みました。 カンファレンスについては、私が就任する以前から三橋尚志先生を中心に医師の参加が徹底されていました。医師にも、自分の専門領域の報告をするだけでなく、患者様のその後の生活全体を捉え描くための医療外の知識と、それに対応する意識を持つ必要があると思っています。   脳を介したリハビリ、スタッフの成長とともに新たな療法を取り入れる リハビリ医療の世界に入って13年目、基本的なこととして「単に動かす(動かしてもらう)だけではいけない」と考えています。患者様が、脳を介することを意識して取り組まないと意味がないのです。極端な話、例えば患者様が寝ている状態で、スタッフが一生懸命やって関節の可動域を拡げることができても、それはニューロリハビリテーション(脳科学を応用したリハビリテーション)ではないということです。 促通反復療法(通称:川平法)の他、かつてはミラー療法などで器具を作って配ったこともありました。いずれも、脳(への刺激)を介しているので有効と考えてのものでした。「リハビリは脳を介して取り組むべきだ」というのが、私の基本的な考えです。 就任以降、一人一人がしっかりと力を伸ばしてくれて、磁気刺激治療や促通反復療法、LSVT LOUD&BIGなどの新たな療法を取り入れることもできました。最近では、昨年(2018年)京都近衛リハビリテーション病院(以下、近衛)を開設し、体制が一気に拡大しました。スタッフが若返り、院内の状況も変わって来ています。   新しい取り組みは、セラピストのキャリアアップにもつながると思っています。技術を身に付け、次々とスキルアップすることで、やりがいにもなります。得たものは、患者様へのサービス向上だけでなく、経営面でもプラスに働いています。 各スタッフの研究活動や学会発表は、まだまだ増やさないといけません。発表だけでなく、ペーパー(論文等)にまとめて発信することも大切で、院内の総合リハビリテーションセンター前での掲示はその一環です。スタッフにそのような意識で取り組んでもらえるよう、体制をさらに強化していきたいと考えています。   一見弱みの立地も、環境を活かし「大原だからできること」へ 赴任した時から、「この場所で、どこまで頑張れるかな」という不安が、なかったと言えばうそになります。この10年で、京都では回復期リハビリテーション病棟のベッド数が約4倍に増えました。グループとしては、2013年6月の御所南リハビリテーションクリニック(以下、御所南)開設に続き、2018年4月に京都近衛リハビリテーション病院を開設。町中に窓口が増えたことは間違いなくプラスです。人の流れという点でも勉強になっています。とは言え、本院である京都大原記念病院が、大原でしっかりとやっていくことには変わりありません。 幸いにも近年では、「大原だからできること」として「グリーン・ファーム・リハビリテーション®」が徐々に活発になってきています。何度かメディア取材を受け、最近は依頼を受けて学会誌へも寄稿しました。 この取り組みは、患者様が能動的に活動することに意義があります。机上で三角コーンを繰り返し動かす訓練を例に挙げると、基礎練習としての意味はもちろんありますが、「おもしろくないから」と能動的に取り組めない患者様もいます。しかし、退院後の実生活では全て自らの意思で動作をスタートさせなければなりません。能動的な活動を促すために、うまく用いていきたいと考えています。また、併設の老健や特養の日中活動に組み入れるなど、あらゆる形で発展する可能性を感じています。中心的存在である木村彩香医師(指導医)と作業療法士などを起点に、より一層高めてほしいと思います。私としても、この取り組みはきちんと育てて行きたいと考えています。 以前、デイルームでご飯を炊いているというリハビリ病院の話を聞いたことがあります。例えばそのような機会を作り、状態によっては患者様自身に配膳などの役割を持って参加していただくことも、病棟でのリハビリの一環として良いですし、患者様の気分も良くなるだろうと思います。 リハビリ訓練に取り組む時間は、多いとは言え1日3時間です。それ以外の時間を看護師や介護スタッフが工夫してはいるものの、まだまだ寝たりテレビを見たりして過ごす方も多くいます。社会復帰を目指すうえで、実生活に参加を促す機会も大切です。当院の農業(グリーン・ファーム・リハビリテーション®)もリハビリ訓練時間での活用がメインですが、それ以外の活用も広めていけたらと思っています。   【Profile】 垣田清人(かきたきよひと) 京都府立医科大学を卒業後、2年間東京の大学病院で研修した後に帰京。医局へ入らず、京都第一赤十字病院(以下、第一日赤)に直接入職。京都大原記念病院 院長に就任するまでの約30年間在籍。本人曰く「私は外様なんです(笑)」。 |資格| 京都大原記念病院 院長 日本脳神経外科学会専門医 日本脳卒中学会認定脳卒中専門医   【連載第1回はこちら】 変化に富み、忙しくも充実した急性期時代 【連載第3回はこちら】 人生の充実感を探す支援を目指す

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リハビリマインド_垣田清人院長 (1/3) 「変化に富み、忙しくも充実した急性期時代」

垣田清人医師(京都大原記念病院 院長)に脳神経外科医からリハビリ医療に転身して13年間、見てきたこと、培ったリハビリマインドをテーマに話を伺いました。全3回に分けてご紹介します。 第1回のテーマは「脳神経外科医として過ごしてきた急性期病院在籍時代」の話です。 変化に富み、忙しくも充実した急性期時代 研修後に入職した当時の京都第一赤十字病院は、実は今ほど救急を受け入れている病院ではありませんでしたが、時代とともに病院の役割として救急医療が求められるようになっていきました。私は脳神経外科医として一層活気がほしいという想いを持っていましたので、当時の院長の理解も得て救命救急センター開設の口火を切りました。救急室が本格稼働すると、救急搬送の受け入れ件数は年間500件程度から年間数千件までに増加し、私自身も忙しい毎日を過ごすことになりました。実績が認められ、当時市内の第二日赤、医療センターに続く3番目の救命救急センターとして認可を受けました。余談ですが、認可を受けるには救命認定医の資格保有者2名以上が必要でしたが、その時点では先輩1名しかいませんでした。言いだした手前、私自身も取得することになり、それはそれで大変だったのも良い思い出です。 私の専門は、脳卒中です。第一日赤では「急性期脳卒中センター開設(2001年)」にも携わりました。開設の目的に、脳神経外科と脳神経内科が共同で診療にあたる体制をつくることを掲げていました。当時は、脳梗塞(脳の血管がつまる)は脳神経内科、脳出血(脳のなかで出血する)は脳神経外科が診るという傾向がありましたが、現在は脳神経内科と脳神経外科の診療の境界はほぼなく、共同で総合的にアプローチしています。これを考えると、早い段階で取り組めたことは良かったと考えています。名称の「急性期」は、役割を明確にする意味合いであえて表示しました。 脳卒中治療には、診療科の連携だけでなく多職種がチームで診療していくことが必要と考え、早くから「チーム医療」という言葉も掲げていました。センター開設に伴い、医師が指示するだけでなく、看護師やセラピスト等と定期的に情報共有しながら、チームでアプローチする体制も設けました。目に見える形を作れたことは、意味があったと考えています。またこの頃には、クリニカルパス(診療標準化のために、入院中のスケジュールを表のようにまとめた計画書)も設けて、より円滑にチーム医療に臨める体制を整備しました。「チーム医療」や「クリニカルパス」は現在では当たり前のことですが、それが言われ始めたこの時期を振り返ると、変化に富んでいて忙しくも充実していたなと思いますね。   次世代の成長とともに脳神経外科からリハビリへの転身を検討 京都大原記念病院は、私の第一日赤勤務時代から既に回復期リハビリテーション病棟を標榜(2000年から)していましたが、当時は「老人病院」という認識しかなかったのが正直なところです。患者様を紹介することもありましたが、リハビリ目的というより比較的重症な患者様を療養目的でお願いしていました。2006年に講演する機会があって足を運んだ時に、初めて「リハビリ病院」という認識を持ちました。今思えば、リハビリ自体があまり認知されていなかった時代であり(自分も含め)急性期の医師は「治療を終えたら、その後の指示を出しておしまい」という風潮だったように思います。 そんな私が脳神経外科医からの転身を考え出したのは、50代半ばに入ってからです。この頃は、口(指示やアドバイス)で手術をしていましたね(笑)。手術は丸一日近くかかることもあり、また緊急対応も必要で体力を要します。自身の体力面の変化等も考えれば、次世代の育成は必須でした。外科医が、いつまでも「俺が一番」ではいけないと思います。幸いその頃には若い医師が力をつけていましたので、夜間の呼び出し対応はしていたものの、手術執刀は彼らが中心となって担ってくれるようになりました。その頃、児玉博行理事長からの声かけもあり、転身を具体的に考えるようになりました。   【Profile】 垣田清人(かきたきよひと) 京都府立医科大学を卒業後、2年間東京の大学病院で研修した後に帰京。医局へ入らず、京都第一赤十字病院(以下、第一日赤)に直接入職。京都大原記念病院 院長に就任するまでの約30年間在籍。本人曰く「私は外様なんです(笑)」。 |資格| 京都大原記念病院 院長 日本脳神経外科学会専門医 日本脳卒中学会認定脳卒中専門医   【連載第2回はこちら】 リハビリは脳を介して取り組むべきだ 【連載第3回はこちら】 人生の充実感を探す支援を目指す

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【外部発表のご紹介】ボツリヌス療法での長期的なフォローを行い、片ロフストランド杖歩行自立に至った症例

よりよいリハビリテーションの提供を目指し、日々の現場だけでなく研究活動や、学会発表などに取り組んでいます。今回は8月に参加した「第1回日本スティミュレーションセラピー研究会」で発表した演題についてご紹介します。(抄録は記事最下部よりご覧いただけます)   ボツリヌス療法での長期的なフォローを行い、 片ロフストランド杖歩行自立に至った症例   花岡涼平(京都大原記念病院 理学療法士) 第1回日本スティミュレーションセラピー学会 2019年8月     脳出血発症後、早期に左上肢、両下肢にボツリヌス療法を実施し、継続したリハビリフォローに取り組んだ結果、片ロフストランド杖で自立歩行できる状態へ至った症例を経験しました。ボツリヌス療法は疾患別リハビリ期限を超過した患者など、発症から相当に時間が経過し痙縮や拘縮が見られる症例に実施することが多く、またその報告の多くは歩行器を使った歩行自立までです。 今回の症例は、発症後早期に取り組み、歩行器自立後も長期的な症状が改善し、左ロフストランド杖歩行自立まで改善が見られました。このことから他症例に対する治療手段の1つになりうる可能性を感じ、各リハビリテーション記録、家族指導記録、生活歴を振り返ることで分析し、まとめました。(以下、一覧を表で示した後、個別のご説明となります) ※表はクリックすると大きく表示されます。 今回の症例はX年12月に右視床に出血(脳室穿破)を発症。翌X+1年1月 左前頭葉の出血(左前頭葉出血)、放線冠周囲に脳梗塞を発症されました。その結果、左半身の上肢・下肢が動かせず(左上下肢麻痺)、右側の下肢も感覚が鈍く動かしづらい(右下肢肢不全麻痺)状態となっていました。 この方は、発症されたX+1年3月に京都大原記念病院へ転院されました。その際には、立った姿勢を保持するのに全面的な介助が必要な状態でした。翌X+1年4月、7月の計2回ボツリヌス療法を実施して訓練された結果、平行棒の中を介助されながらも歩行されるようになりました。その後、他医療機関を経て施設に入所されます。 入所先から、X+3年4月当グループの御所南リハビリテーションクリニックで外来リハビリ開始すると、歩行器を用い介助を受ければ歩行できるようになりました。X+3年12月には歩行器を使えば自立して歩行できる状態となったことから自宅へ退所されました。 以降、X+4年1月以降、ボツリヌス療法を計5回、月1回外来でリハビリ訓練を継続された結果、X+4年12月には左ロフストランド杖を用いれば自分で歩行できる状態になりました。   本症例は発症(X年12月)から約4ヶ月(X年4月)の早期段階からボツリヌス療法とリハビリ訓練を実施した結果、歩行器自立した後にも機能障害の改善が見られ左ロフストランド杖歩行自立に至りました。個別症例により効果等は検証する必要があるが本結果を踏まえ他症例に対する治療手段の1つとなりえるものと捉え、今後も各方面から検証して行ければと考えています。   抄録はこちら  

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直接知る「退院後」の生活。ご厚意をきっかけに若手セラピストが多くを学ばせていただきました。

あるきっかけでご縁のできたAさん。ご主人が突然の病気をきっかけに車いすでの生活を余儀なくされましたが(※1)、様々に工夫されながら日々を過ごされました。当院が回復期リハビリテーションを担う医療機関であることを知ってくださったことをきっかけに「もし私たちの経験が、患者さんの支援に役立つならぜひ一度うちを見に来てほしい。お話しましょう。」と申し出てくださり、若手セラピストが研鑽の機会として訪問させていただきました。 突然の病、受け入れるまでの葛藤 主人は急に発生した身体の痛みに身動きが取れなくなり、救急搬送されました。幸い命は助かり自宅に退院できましたが、下半身に麻痺が残り、車いす生活を余儀なくされました。それまで当たり前にできたことができなくなる喪失感から「なぜ、こんなことになったのか?」という思いがふつふつと湧いたのでしょう、落ち込んだ姿がありました。 搬送されて治療を受けている時も、きっと説明していただいたのだと思います。けれど、本人も私(妻)も、落ち着いて理解できる心の余裕はありませんでした。現実を受け入れ前を向くには、「なぜ?」を一つ一つ紐解いていくほかない。そう考えて、「納得できるようにもう一度先生の話を聞きたいと要望を伝えてみよう」と話しました。私が看護師として勤務していた病院でしたが、主治医にも協力していただいて一つ一つ疑問を解消していきました。   本人が主役になれる環境を目指す 退院後自宅での生活を考えると、現実的な問題もありますから、いろんな福祉サービスなどの利用も必要になります。病院の担当者も「身体障害者手帳」の説明をしてくださいましたし、私も必要だと思って聞きました。しかし、本人は手帳を受け取ることに「葛藤」があったようです。 手帳を受け取ることは、つまり障害を認めることになります。夫の感情の変遷を目の当たりにして、身に起こった突然の病や障害を理解して心から受け入れるのは、本当に難しいことなんだと感じさせられました。 発症前は、特にバリアフリー化されていないマンションに2人で住んでいました。身の回りのことを自分でできる環境を整えようとしたのですが、住んでいた部屋の改修は困難でした。そんな時に、親族が住む近隣の地域で「コーポラティブ(購入予定者の要望を聞きながら間取りを決める)マンション」の情報を得て、すぐに引っ越しを決意しました。車いすの状態でも身の回りのことが自分でできる「本人が主役になれる」環境を目指そう、と設計士さんにも話を聞いてもらってできたのが今の家です。 ■段差なく出入りできる玄関やベランダ ■コンセントを座面の高さにたくさん配置して、床には電気コードを這わせない ■便座を高めに設置したトイレ ■夫婦のプライベートを保ちながら、何かあればすぐに動ける間取り ■方向転換をしなくても、部屋中を移動できる導線設計 ■自動で閉まる玄関ドア(一定時間が経つと自動で閉まる) それまでと生活の基盤も変わり、不自由が全くなかったわけではありません。でも、朝の身支度こそ手伝いが必要でしたが、夫婦それぞれのペースで生活できました。本人が一人でお風呂に入ったり、洗濯などの家事もしていました。   定年まで勤め上げる 前に進むためには、「意欲」や「目標」が必要だと思います。そういう理由で、何とか仕事にも復帰してほしいと思っていました。「意欲」や「目標」は、ただ周りから与えられたり押し付けたりするのではなく、自ら持つことが大切だと思ったからです。 もともと夫は事務系の仕事、私は看護師として働き、生活費と学費を役割分担していました。当時、家族は夫婦2人と20代の娘2人でしたので、学費が必要でした。「学費はあなたの担当だから、頼むよ!笑」と発破をかけているうちに、「自分には役割がある」という気持ちになったのか、また前を向いて歩きだしたように思います。「社会の中で役割を持つこと」が、大切だと感じた瞬間です。 仕事については、環境こそ工夫は必要でしたが、それ以外の仕事の理解やパソコン操作等は問題ありませんでした。職場にも無理を言いましたが、理解して環境を整えてくださいました。おかげで無事に復職を果たし、大雪等の影響で動けなかった時を除いては休むこともなく、最終的には約8年超、定年退職するまで勤め上げることができました。定年後は、もともと好きだった物理学の勉強など、自分のやりたいことや趣味に時間を割いていました。私は定年前で仕事もありましたが、好きにやってもらおうと見守りました。高い買い物をしている時は、少しヒヤヒヤもしましたが(笑)   やれることはすべてやった そうして生活していた2013年の、ある夏の日のことでした。私が出かけていた時に、自宅で急に体調が悪くなりました。帰宅して異変に気付き、確認したところ体の片側に麻痺が現れたので、慌てて救急車を呼び搬送されました。脳出血との診断の説明を受けた時は、既に気管挿管されている状態でした。「状態は重く、何が起こってもおかしくない。人工呼吸器をつけたとしても持って2週間だが、装着しますか?」そう説明を受け、早急に方針を決める必要に迫られました。 独立して遠方に住む娘2人に連絡をしました。既に深夜で、電車もありません。緊急事態を受けて、「こんな気持ちでは落ち着いて運転できない」と。人工呼吸器を付けて、娘たちを待つことにしました。おかげで、家族4人揃って最期のひと時を過ごすことができました。夫は、意識を戻すことなく亡くなりました。ちょうど2週間を過ぎた朝のことでした。今年で6回忌を迎えたところです。 不意に始まったこの家での生活ですが、夫は自分なりに生活することができていたように思います。私も夫の世話にかかるばかりではなく、仕事も趣味もありましたので、協力しながらそれぞれの時間を過ごしました。おかげで、お互いに煮詰まってしまうこともありませんでした。今振り返っても「やれることは全てやった」と、気持ちはすっきりとしています。 今、振り返って思うこと 私は看護師という「医療者」の立場から、病院でいろんな患者さんと出会ってきました。病院で向き合う期間は長いように思いますが、家族として向き合うと「人生」の中のごく一部分にすぎないことを痛感しました。けれど、その限られた時間での関わりが、その後の生活に影響することは間違いない、と今でも思います。 私自身も、周囲の協力を得て、定年退職まで勤め上げることができました。現在は、京都シニア大学の授業や同好会、それ以外の趣味などで毎日充実しています。一人暮らしではありますが、友人らとの会話も楽しみに、いつまでも自分らしく元気に過ごして行きたいなと思っています。 ※1:Aさんのご主人は京都大原記念病院をはじめとしたグループ関連施設の患者様、利用者様ではありません。ご縁をきっかけにご厚意で学びの機会を提供くださったことに感謝申し上げます。   京都大原記念病院が掲げるリハビリテーションの目的 京都大原記念病院では、リハビリテーションは「機能障害」を治すことを第一の目的とするものではなく、生活機能の向上をはかり、生活を支える行いであるべきと考えています。できる限り元の生活に近づける努力をリハビリテーションとし、その第一歩として「(患者様の)自立支援」「(ご家族の)介護負担の軽減」「(患者様・ご家族の)安心の提供」をリハビリテーションの目的と定めて日々取り組んでいます。症状や、生活の考え方は千差万別ですが、この目的を日々実現するうえで退院後のお話を直接うかがう機会は、訪問した若手のセラピストにとって非常に学びの多い機会となりました。感謝の想いも込めて、Aさんのお話をご紹介しました。

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一つ一つには意味がある!グリーン・ファーム・リハビリテーション®!

過ごしやすかった9月下旬のある日。 京都大原記念病院の農園で16名の患者様がセラピストらとグリーン・ファーム・リハビリテーション®に取り組まれました。 この日の活動は「苗植え(定植)「種まき(播種)」。 リハビリテーションとしての農業活動は「種をまく」「苗を植える」など行動の目的が分かりやすいこともあってか、患者様は一様に能動的に取り組まれる姿が印象的です。 ただ、楽しいだけでなくできるだけ幅広い方に参加いただけるような工夫や、一つ一つの動作には目的を持って取り組んでいただきます。 ■ 指先を使った細かな動作をこなす ■ 不整地でのバランスを保ち歩行する ■ 説明を受けた内容を理解して実行する ■ 作業の段取りをうまく組み立てる ■ わからないことがある時に質問する …etc こうした目線は指導医を中心に多職種でこうした目線を共有しています。   この日撒いた種は10日後には芽を出し始めました。 そんな様子も時折参加された患者様も農園まで足を運んでご覧になるなど楽しみの要素にもなっています。   大原だからできること。これからの季節が楽しみです!   [caption id="attachment_853" align="alignnone" width="400"] ご状態にあわせて作業環境は工夫(パイプを使って種まき)[/caption] [caption id="attachment_855" align="alignnone" width="400"] 作業を進めるためには不整地での移動が必要(バランス)[/caption] [caption id="attachment_859" align="alignnone" width="400"] 仕上げに整える(指先の運動・巧緻性)[/caption] [caption id="attachment_863" align="alignnone" width="400"] 小さな種をつまむ(巧緻性)タネを●●個入れてください(指示の理解)[/caption] [caption id="attachment_856" align="alignnone" width="400"] ご状態にあわせて作業環境は工夫(車いすの方も参加))[/caption] [caption id="attachment_854" align="alignnone" width="400"] 訓練として実施する目的、作業時の観察のポイントなどは木村彩香(写真左)を中心に多職種で認識を合わせていく[/caption] [caption id="attachment_861" align="alignnone" width="400"] ご状態にあわせて作業環境は工夫(写真右:小さな椅子を使用)[/caption] [caption id="attachment_857" align="alignnone" width="400"] ポットから苗を出して、所定の場所に植える(作業の段取り力)[/caption] [caption id="attachment_858" align="alignnone" width="400"] 仕上げに整える(指先の運動・巧緻性)[/caption] [caption id="attachment_860" align="alignnone" width="400"] この日は、少し暑かったものの爽やかに過ごしやすい一日。活動には16名が参加されました。[/caption] [caption id="attachment_862" align="alignnone" width="400"] 種まきして、10日後の様子。無事に芽が出てきました(水菜 品名:紅法師)[/caption]  

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大分リハビリテーション専門学校 作業療法士科の皆さんが施設見学にご来院

大分リハビリテーション専門学校 作業療法士科から、首藤小春先生と24名の生徒さんが施設見学にご来院されました。 同校で、毎年2年生を対象に将来の働く姿をより具体的に掴むための機会として実施される研修旅行プログラムの一環で来院されました。 当日は京都大原記念病院をはじめ、各関連施設も見学されました。先輩作業療法士の活躍を目の当たりにした今回の見学が、可能性ある若い皆さんの将来を考える機会となっていれば心から嬉しく思います。 [caption id="attachment_843" align="alignnone" width="400"] 引率の首藤先生と、同校卒業生で当日の案内役を務めた江川大地作業療法士(京都大原記念病院)[/caption]   [caption id="attachment_844" align="alignnone" width="400"] 講義やグループワークでも様々なテーマで学ぶ[/caption]   [caption id="attachment_845" align="alignnone" width="400"] 作業療法士も多く活躍。グリーン・ファーム・リハビリテーション®の農園を視察[/caption]   [caption id="attachment_847" align="alignnone" width="400"] 京都近衛リハビリテーション病院も見学。写真はADL訓練ゾーンの一角[/caption]

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【掲載されました】 医療従事者向けサイト 「m3.com」に掲載されました!

【2019年9月17日9:00更新】   医療従事者情報サイト「m3.com」で京都大原記念病院の取り組みをご紹介いただきました。計2回連載で「 グリーン・ファーム・リハビリテーション® 」「当院のリハビリテーション提供体制」などについて、同院の垣田清人院長、三橋尚志副院長、木村彩香医師がお話させていただいております。   【第一回】 【京都】患者さんの興味から始まった自家菜園‐京都大原記念病院「農業とリハビリテーションの融合」とは◆Vol.1   【第二回】 【京都】京都府下最大、288人のスタッフによる高密度リハビリ‐京都大原記念病院「農業とリハビリテーションの融合」とは◆Vol.2

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